嘉興蔵は、明末(万暦17年/1589年頃)から清初にかけて江南地方で開版された民間による大蔵経出版事業であり、それまでの大蔵経が踏襲してきた折本形式を袋綴形式に変更したという点にも特徴がある。このため、方冊藏と呼ばれることもある。テクストは先行する明代の勅版北蔵を底本としつつ、宋代・元代に刊行された2つの大蔵経を対校本とし、1676年には、続蔵・又続蔵をあわせて1618部7334巻という大蔵経としては膨大な分量となって完成をみた。我国では、江戸時代を通じて多くの嘉興蔵が輸入されており、江戸時代初期に輸入されたものの一つが鉄眼道光禅師による黄檗版大蔵経(鉄眼版)の底本となった。鉄眼版が我国にもたらした幅広い恩恵を顧慮するなら、その底本となったこの嘉興蔵の重要性もまた自明である。とりわけ、明治初期に刊行された初の金属活字版大蔵経である大日本校訂大藏經(縮刷蔵)において鉄眼版が原稿として用いられ、さらにこの縮刷蔵の拡大印刷板たる頻伽精舎校刊大蔵経が大正新脩大藏經の原稿として用いられたことは、我国の大蔵経史上において嘉興蔵が果たした役割の重要性を端的に示していると言えるだろう。